長篇第一作『急にたどりついてしまう』(95)以降、常に既成概念にとらわれない自由で豊かな映画表現を探求してきた福間健二監督。最新作となる本作は、学校に行かない中学2年生の七海(ななみ)と、妻を亡くした元船乗りの77歳の老人、寺田との心の交流を描いています。七海を演じるのは幼い頃から舞台などに出演するも、今回が映画初出演となるくるみ。そして、老人寺田役は、なんと福間監督自身が演じています。10代の頃より若松プロに出入りしていた福間健二は、20歳で若松孝二監督『通り魔の告白 現代性犯罪暗黒篇』(69)の脚本を書き主演します。同時に詩人としてのキャリアを築きながら、『石井輝男映画魂』(92)、『ピンク・ヌーヴェルヴァーグ』(96)などを刊行。常に映画と詩の新しい局面を追求してきました。そして、第七作目となる本作を完成させた直後、脳梗塞で倒れ、療養中に肺炎を起こして本年4月26日に74歳で亡くなりました。
『きのう生まれたわけじゃない』は、福間健二が最後に遺した、この世界への希望の贈りものなのです。
母と二人暮らしの七海は中学2年生。七海という名前をつけてくれた父は、ずっと前にどこかに行ってしまった。今日も学校には行かない。川べりで「夫を亡くしたばかりの人」岬と出会い、心が通じあう。77歳の寺田は、若いころに妻を亡くした元船乗り。老年にさしかかって、忘れていいわけではない過去が、不意に彼を不安にかき立てる。最近、老人たちが集まって飲み食いする「憩いのベンチ」に参加するようになった。そこにやってきた七海は、老人たちのありきたりの言葉に「きのう生まれたわけじゃないよ!」と反発する。七海は寺田とともに「憩いのベンチ」を抜け出して、二人の時間を持つことになった。寺田は、人の心を読むことができる七海におどろく。その夜寺田の前に、亡くなった妻綾子が現れる。
1949年新潟県生まれ。詩人、映画監督。批評と翻訳もおこなってきた。
中学時代から映画を見はじめる。とくにゴダール、増村保造、大島渚、若松孝二、鈴木清順などの映画に夢中になった。高校3年のとき、若松孝二、大和屋竺、足立正生らに出会う。1969年、若松孝二監督『通り魔の告白 現代性犯罪暗黒篇』に脚本・主演。都立大学在学中に16ミリ映画『青春伝説序論』を高間賢治の撮影で監督する。同時に詩を書きはじめ、現代イギリス詩の研究者としての道を歩みながら、詩と映画への情熱を燃やしつづけた。
79年から5年間、岡山大学教養部講師。83年、私家版の詩集『最後の授業/カントリー・ライフ』、88年、詩集『急にたどりついてしまう』を出す。89年、詩と映画をメインとする雑誌「ジライヤ」を創刊する。このころから詩が大きな注目をあびるようになり、映画批評と翻訳でも活躍する。95年、サトウトシキ監督の『悶絶本番 ぶちこむ』の脚本を立花信次名義で書き、同年、長編劇映画第1作『急にたどりついてしまう』を発表する。その後、映画制作からしばらく遠ざかるが、『ピンク・ヌーヴェルヴァーグ』をはじめとする映画批評や、勤務した首都大学大学東京表象分野での研究教育活動をとおして、映画との新しい関係、映画へのヴィジョンを模索していった。
2008年以降、『岡山の娘』(08)、『わたしたちの夏』(11)、『あるいは佐々木ユキ』(13)、『秋の理由』(16)、『パラダイス・ロスト』(20)を継続して発表し、若い世代の映画作家・批評家から熱い支持を受け、ファン層を広げてきた。
詩集に『沈黙と刺青』(71)、『冬の戒律』(71)、『鬼になるまで』(71)、『結婚入門』(89)、『地上のぬくもり』(90)、『行儀のわるいミス・ブラウン』(91)、『きみたちは美人だ』(92)、『旧世界』(94)、現代詩文庫『福間健二詩集』(99)、『秋の理由』(00)、『侵入し、通過してゆく』(05)、『青い家』(11、萩原朔太郎賞と藤村記念歴程賞をW受賞)、『あと少しだけ』(15)、『会いたい人』(16)、『休息のとり方』(20)などがある。 評論集に『詩は生きている』(05)、『佐藤泰志 そこに彼はいた』(14)、『迷路と青空』。映画関係の本に、『石井輝男映画魂』(92、石井輝男共著)、『大ヤクザ映画読本』(93、山﨑幹夫共編著)、『ピンク・ヌーヴェルヴァーグ』(96)など。翻訳に『カリガリ博士の子どもたち』(83、藤井寛共訳)、『東京日記』(92)、『ビリー・ザ・キッド全仕事』(94)、『ライオンの皮をまとって』(06)などがある。
2023年4月26日、肺炎により死去。享年74歳。
どんなことがスクリーンにおこるのか。福間健二の遺作だ。息をのんで目をこらした。と、いつのまにか、緊張はとけ、こころが軽くなった。
座席を立ち、あかるいおもてに出ても、この映画は終わらない。シーンにある小さな魔法のような出来事がわたしたちを生かしていく。空に浮かび上がったり、変身したり、こころの声が聞こえたり、そんな不思議なことが次々スクリーンにおこっていた。映画だからね、フィクションだからね、と作品は語る。そうだけど、台詞には、言葉には、ほんとうの力が宿っていた。
この地上から福間健二は決して目をそむけなかった。スクリーンのうえの七海もこちらを向いて目をそらさない。映画館から立ち去っても、この映画は終わらない。福間健二の声が七海の声に重なって、ぼくたち生きる者を大きく励ましつづける。
岡本啓|詩人
常に映画の新たな可能性を追及し続けてきた福間健二監督。
僕は福間映画を観るたびに大きな刺激を貰ってきました。
一番学んだのは、志です。
新作『きのう生まれたわけじゃない』は、またしてもこちらの想像を遥かに越えてくる挑戦的な映画でした。こんなにも映画の中を自由に、散歩するかのように、清々しく作り上げられる監督は福間さんしかいないと思う。たくさんのメッセージとともに繰り広げられる希望のバトンタッチの物語に、胸がポカポカと温かくなった。
そうだ、人はもっと自由でいいんだ。映画ももっともっと自由でいいんだ。
とにかく、福間監督の映画は今作もやはり最高です!
前田弘二|映画監督
「お若いデスね、なんて言ったら、きっと福間さんは怒るだろう」とは、故・小林政広さんが前作に寄せた言葉だが、爽やかな自由へ羽ばたく本作も、驚くほど若い。いつだってここにいない誰か、予兆的な記憶と共に刷新する、世界の手触り。老いも若きも死者も生者も、地をゴロゴロ転がるうちに獲得する、不思議な軽さ。映画は記憶のメディアであると同時に、予感のメディアなんだ──本作は、そう語りかけてくる。楽しそうな声で。
宮田文久|編集者
昨日までは出会えなかった人と、無為と、ポエジーの視線と出会った。喪失に出会いが落ちる。豊かさの波紋がみえてくる。 生きることへの緊張をこのマジカルな映画がほぐしてくれた。なんでもいいのだ、ムイ、ムイ、生きてみよう!
金子由里奈|映画監督
その新しい挑戦と思えるシーンの極致。地面から離れ、空に舞い上がる瞬間。福間さんと言えば、地上の日常を、地面の上で繰り広げられる感受性を、たとえばオムライスの食卓を、たとえば老人たちのツマミが並んだ公園のテーブルを、大切に詩に書き、映像にしていったイメージがある。それが、空に舞い上がっていった。やっぱり宮沢賢治なのだ。
——本作パンフレットレビューより
瀬々敬久|映画監督
ここで色んな解釈をしてみたくなる。が、福間健二作品は解釈を拒否しているようにも思えるし、理屈をつけることを無粋にも感じる。福間作品を観て、意味がわからないという人がいる。何の問題もないと思う。意味なんかいいじゃないですかと言ってあげたくなる。小さな解釈で意味を考えるよりも、大きな感動を与えてくれるのが福間作品なのだから。
——本作パンフレットレビューより
高田亮|脚本家
今はこの世に居ない福間健二監督が、
寺田さんという老紳士として日々を生きていて、
歩いたり話したり考えたりしている。
撮影したのは過去のはずだけど、
今の福間監督が空から何かを伝えようとしてきてるみたいで、
途中、寺田さんがある言葉を発して、たまらず涙がこぼれた。
ぴかぴかの瞳を持った七海ちゃんが、
途中でふと映るキラキラ光る青葉のようで、
七海ちゃんが安心して腰を下ろして足をぶらぶらさせている、
あの樹が寺田さんなんだと思った。
監督、人生って不思議ですね、
生きるって、死ぬって、どういうことなんでしょう。
きっと監督はずっと考えてたんですね。
優しくてたまらない映画でした。
福間監督、ありがとう。
穂高亜希子|ミュージシャン
今はこの世に居ない福間健二監督が、
寺田さんという老紳士として
日々を生きていて、
歩いたり話したり考えたりしている。
撮影したのは過去のはずだけど、
今の福間監督が空から何かを
伝えようとしてきてるみたいで、
途中、寺田さんがある言葉を発して、
たまらず涙がこぼれた。
ぴかぴかの瞳を持った七海ちゃんが、
途中でふと映る
キラキラ光る青葉のようで、
七海ちゃんが安心して腰を下ろして
足をぶらぶらさせている、
あの樹が寺田さんなんだと思った。
監督、人生って不思議ですね、
生きるって、死ぬって、
どういうことなんでしょう。
きっと監督はずっと考えてたんですね。
優しくてたまらない映画でした。
福間監督、ありがとう。
穂高亜希子|ミュージシャン
演技にまつわる小説(「生きる演技」)の執筆に悩んでいた私は思い切って本作の撮影見学を志願し、いつのまにか出演まですることになった。私にとって福間健二さんは詩人であるともに映画そのもののような人だった。「映画」「小説」とひとくちにいっても、その周辺には色々なものが付随する。たとえば世界とか。生活がある。人間がある。人生がある。福間作品は付随するものとのその関係を誤魔化さず包み込む。だからこそ『きのう生まれたわけじゃない』は映画であるとともに人生であり生活であり、そして隠しようもなく福間健二その人である。一緒に作って一緒に生きたみんなである。だからこそ、本作から受けとるスケールや勇気はいや増す。映画としてだけじゃないからこそ紛れもない映画としての豊かさがある。世の中の人はもっとこのようなことについて真剣に考えたほうがいい。
町屋良平|小説家
「きのう生まれたわけじゃない」と描いた文字が映画に出てよかったです。映画に出演することができてよかったです。
6小の近くの矢川の公園で最初にベンチで飲んだり食べたりしてるシーンが、面白かったです。
健二さんが演じてる寺田さんの役がよかったです。マー君が「鳥になりたい」と言った時「確かに!」と思いました。ちゃんとゴロゴロをやってみたくなりました。
音楽のリズムが良かったです。岬さんが優しくて会ってみたいなぁと思いました。七海は心が読めるけれどもお母さんの心は読めないところが少し不思議で面白かったです。
山崎葉太|本編タイトル文字筆者
映画『きのう生まれたわけじゃない』。多幸感溢れるカット、謎が積まれていく体験だった。空を写すカメラにゾクゾクする。地上の人間の関わり出逢い、生への戸惑い、喜びが乱反射に紡がれていく。福間監督の言葉は、眼の前の豊饒な光景と、無限の想像力とをつなぎつづけることを志していたように思う。
最後の海は、どこか永遠にめぐる季節に向かっているよう。
福間監督は今年春、唐突に肉体を去った。それでも昨年この映画を撮りながら、いま自身がいる場所もこの世界も、しっかり分かって撮っていたように思えてならない。それも無心に、心底楽しみながら。長い時間をかけて、出逢い直したい映画だ。
※頂いたコメント全文はこちらをご覧ください
木村文洋|映画監督
地域 | 劇場名 | 公開日 |
北海道 | ||
札幌市 | シアターキノ | 上映終了 |
函館市 | シネマアイリス | 上映終了 |
浦河町 | 大黒座 | 10月20日(日)〜11月16日(土) |
関東 | ||
東京都 | ポレポレ東中野 | 上映終了 |
東京都 | CINEMA Chupki TABATA | 上映終了 |
神奈川県 | シネマ・ジャック&ベティ | 上映終了 |
群馬県 | シネマテークたかさき | 上映終了 |
中部・北陸 | ||
愛知県 | シネマスコーレ | 上映終了 |
長野県 | 松本CINEMAセレクト | 上映終了 |
長野県 | 上田映劇 | 上映終了 |
富山県 | ほとり座 | 上映終了 |
関西 | ||
大阪府 | シネ・ヌーヴォ | 上映終了 |
京都府 | 出町座 | 上映終了 |
兵庫県 | 元町映画館 | 上映終了 |
中国・四国 | ||
広島県 | 横川シネマ | 上映終了 |
岡山県 | 岡山映画祭 | 11月3日(日・祝) |
愛媛県 | シネマルナティック | 上映終了 |
九州・沖縄 | ||
鹿児島県 | ガーデンズシネマ | 上映終了 |